mayonaka



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    tataraseitetsu:

    shinoddddd reblogged neetria:

    面白い!

    絶対無敵ライジンオーに通じる。

    — 1日前に投稿・リアクション: 41812件
    "幼児は自分が嫌な気持ちになった時、それを表現する言葉を知らないと、物にあたったり、痛みを感じたりしてその感情をなくそうとしちゃうの。だから保育者は、例えば子どもが喧嘩したら「痛かったね、悔しかったね、悲しかったね、辛かったね」ってたくさんの言葉を使って教えないといけない。"
    — 1週間前に投稿・リアクション: 1005件
    "

    まず最初に言っておかなくてはいけないのは、「表現の自由は媒体を問わず尊重されなくてはならない」という大原則です。小説ならOK、漫画だとダメ、映画ならOK、ゲームだとダメということはそもそも間違いです。そこから考えましょう。


    それから、『有害コミック』については興味もないし、むしろなくなってほしいとお考えの方にも、もう少し考えて頂きたいと思います。これは最近話題の、同性間の婚姻を巡るスピーチと同じロジックで考えることが可能です。「あなたにとって必要のない権利でも、切実にそれを求める人がいる」。


    次の視点。一例として石原都知事は「ナボコフならいい。表現も綺麗なところがあるし」という発言をしました。ずいぶん前の筒井康隆の断筆宣言のときに浅田彰は「筒井のような二流の作家がタブーなき言語の聖域などというな」と発言。逆に小林よしのりは「筒井さんは何を書いてもいい」と擁護。


    私はこの三者の発言のどれにも賛同しません。嘆かわしい思考水準だと思います。芸術的力量という曖昧な物差しをそれぞれに当てて、「この表現は自由」「これはなし」と決めることはできないのです。一流の作家ならOKという前提そのものが間違っています。


    演劇の分野でもいろいろなことが起こりました。シュニツラーの『輪舞』、ヴェデキント『春のめざめ』など、二十年近くまともに上演されなかった戯曲があります。後年正当に評価された幾つかの名作の影には、知られずに消えていった作品が山のようにあるということです。もちろん作家も。


    日本で起こった悲劇は、徳川幕府が女性の演じる歌舞伎を全て禁止してしまったことでしょう。国が乱れる、と幕府が感じるほどに大人気だった芸能がどんなものだったのか、我々はもう知ることができません。損害を被ったのは女性の歌舞伎役者たちだけではなく、数百年後の我々全員でもあるのです。


    さて。ドストエフスキーの『悪霊』は50年ものあいだ、完全版の出版が叶いませんでした。少女を陵辱する場面があったからです。コミック規制を主張する人は、『悪霊』を十九世紀版に戻せ、ともいうべきです。やっていることは当時のロシアの役人と同じだということを、少なくとも自覚すべきです。


    一流の小説家ならいいが無名の漫画家はだめだ、というロジックが通用しないのは、述べたとおり。媒体の性質や作者のレベルをもって、表現の自由に差をつけることは誰にもできないという原則を何度でも確認する必要がある。


    唐沢なをき『電脳なをさん』の722号を見てみよう。ヒトラー似のへんなおじさんが「きんもーっ」の大号令のもと、都条例改正による表現規制を推進していく。ここで「きんもーっ」が出てくるのは正しい。青少年を守ろうといいながら、実は自分が気持ち悪がってるだけだろ、という批判だ。


    「自分が気持ち悪いだけじゃないの?」という指摘をしたのは、私の知る限り唐沢なをきただ一人だ。そしてこれは実のところ、正鵠を得た重要な指摘なのではないだろうか。「気持ち悪い」→「一掃したい」→「(後付け)青少年にもきっと有害だよね!」というロジックで規制論が起こるのではないか?


    だから、「実際の性犯罪を誘発しているか」の議論が無視されてしまう。「気持ち悪い」「青少年に悪影響を与えないはずがない」のほうが彼らにとって百万倍も大事だから。しかし、そこで立ち止まらなくてはならないのだ。本当に「有害」なのか。有害と無害の境界線を引くことはできるのか。


    表現そのものに「有害性」はない、という内田樹氏の明確な指摘も参照されたい。 http://t.co/KkIrEW0W


    チョムスキーのいうとおり、ヴォルテールは「自分にはヘドがでそうな思想であってもその表現の自由は徹底的に擁護する」と述べた。200年も前のことだ。不快で、広い共感を得られにくい表現こそを守っていくことが必要なのだ。青少年保護を楯に自分の清潔感を守ることをしてはいけない。


    児童ポルノの単純所持禁止、についても疑問提示。例えば、全裸の少年少女たちが登場する寺山修司の短編映画をビデオで所持していたら逮捕されたりするんでしょうか? されないとしたら根拠はなんでしょう? 芸術作品とポルノ作品とは誰が区別してくれるのか。

    "

    表現の自由について、幾つかの指摘 - Togetter (via futashika)

    うむうむ。そして、「だからこそ日本人は『表現の自由』なんてものに耐えられない」と私は思っているのだ。「『表現の自由』という重荷に耐えられない、もうこの重荷を下ろしたい」と考えている日本人が次第に増えてきており、今後もさらに増えるだろう。

    (via raurublock)

    (asianplasticから)

    — 1週間前に投稿・リアクション: 641件
    "

    しかし、今はもう、本当に結婚産業に躍らされて、錯覚ばっかりです。そして、結婚式の時もね、「良い旦那さんになって下さい。良い奥さんになって下さい」ってよく言いますよね。私は結婚式のスピーチを頼まれたら、よく言うんです。「そんなもんになる必要はない。良い旦那、良い奥さんになろうとすると無理がいく。それより、良い人間同士でいるようにして下さい」そうしたら旨くいきます。これが基本なんですね。職場でも、良い上司であろう、良い同僚であろう、良い部下であろうとするよりも、そんな肩書きとかね、記号はどうでもよくって、「良い人間同士で一緒に働きましょう」ってしてると、旨く行くんです。

    ですから、良い母親であろう、良い父親であろうとすると、背伸びをすることになる。ところが、「良い人間同士で、この家で一緒に生活していきましょうね」ってすると、旨く行くんですよね。ですから、夫とか妻とか舅とか姑とかは記号に過ぎないから、それに囚われないことです。そんな言葉は辞めちまったほうがいいんです。そんな言葉にとにかく囚われるから、あの橋田寿賀子さんの馬鹿なホームドラマみたいに、「嫁姑だ。鬼嫁だ」と言われるんです。人間単位にすれば、記号に振り回されません。そうすると、みな旨く行きます。だって、「夫」という言葉だってね、場合によって変わるんですよ。子供の前では「父親」なんですよ。お母さんの前では「息子」ですよ。妻の前では「夫」です。電車の中では「痴漢」になるんですよ(会場笑い)。そうです。一人の人間ということは変わらないんですよ。何処でも変わらない。人間単位でものを見るようにする。

    "
    (via jinon)

    (asianplasticから)

    — 1週間前に投稿・リアクション: 403件
    "傘かしげ
    雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと
    肩引き
    道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと
    時泥棒
    断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる
    うかつあやまり
    たとえば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと。
    七三の道
    道のど真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は緊急時などに備え他の人のためにあけておくこと
    こぶし腰浮かせ
    乗合船などで後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作ること 
    逆らいしぐさ
    「しかし」「でも」と文句を並べ立てて逆らうことをしない。年長者からの配慮ある言葉に従うことが、人間の成長にもつながる。また、年長者への啓発的側面も感じられる。"
    江戸しぐさ - Wikipedia (via imanoi)

    今度雨が降ったら傘かしげしよう。

    (imanoiから)

    — 1週間前に投稿・リアクション: 8件
    "今の時代に音楽を聴く人は
    音楽を娯楽や趣味ではなく
    薬だと思っている人の方が多くて
    その効き目を強く求めている時代なんだ
    ということではないかなと思います

    聴き手が傷心や挫折や失恋や失望や
    そういう普段の暮らしで生じた困難に
    よりよく「効く」薬を求めている
    ということではないかと思うのです

    でも音楽にお医者さんはいないから
    誰かが症状に応じた適切な処方箋を
    出してくれる訳ではないので
    自分で「薬」を探さなければいけない

    そうなったとき、どうせお金を払うなら
    より強い薬を、効く薬を、となるのが
    人の心理というもので、それゆえに
    「会いたい」とか「一歩踏み出そう」とか
    「自分を信じて」とか「勇気を」とか

    もはや表現における劇薬というか
    とにかく率直で単刀直入でわかりやすくて
    身も蓋も侘び寂びもほとんどない
    直接的な歌詞が重宝されるように
    なってくるのではとすこし思ったのです

    音楽はいつの間にか
    くさかんむりがついて
    音薬になってしまいました
    ということなのではないかと"
    — 2週間前に投稿・リアクション: 404件
    pineappledesign:

テクノロジーがカラーを決定している例。右は青色LED発明前、真ん中は青色LED発明後だがPWMによる階調制御普及前、左が青色LED発明後でかつ階調制御普及後。

    pineappledesign:

    テクノロジーがカラーを決定している例。右は青色LED発明前、真ん中は青色LED発明後だがPWMによる階調制御普及前、左が青色LED発明後でかつ階調制御普及後。

    (gtokioから)

    — 2週間前に投稿・リアクション: 1101件
    "表現のジャンルとして考えた時、漫画はどちらかというと音楽とか映画の方に近いんじゃないかなと思います。小説は読みながら目をとめて、この主人公はここでこんなことを言ってるけどとか考えることができますよね、時々。映画は始まったら最後まで一気に見ますよね、途中で止めて考えませんよね。音楽もそうですよね。ここでシンバルがなったから、まてこのシンバルの意味はとか考えませんよね。一気にエモーショナルに感情を引き込んでいく。漫画も似たようなところがある。ちょっと待ってと、ここで止めたくても次のコマが目に入ると、ノンストップで最後まで行ってしまいます。"
    — 3週間前に投稿・リアクション: 111件
    "可能性は低いかもしれないが、もし今回のバス事故を「ただの居眠りならこんなに死ななかったのに、道路設計のせいで大事故になった」としてまず国を訴えて勝つことができたら、全額国が賠償したうえで国がバス会社に請求することになるので、バス会社が破産しても被害者救援はできる。"
    — 3週間前に投稿・リアクション: 60件
    "

    客「びっくりドンキホーテってどこですか?」

    自分「はい?」

    客「びっくりドンキホーテってどこにあるんですか?」

    自分「ど、どっちですか?」

    客「お前なぁ、こっちが聞いてんだよオイ」

    くっそー、殴りてぇwwwwwww

    "
    — 3週間前に投稿・リアクション: 387件
    "

    いま、なぜこんなに
    「コミュニケーション力」が求められるか、
    というと、ひとつには、

    私たちが、効率よく暮らすために、
    「分業」を選んだからと言える。

    "
    — 3週間前に投稿・リアクション: 759件